「記憶~少年院の少女たちの未来への軌跡~」
少女少年院で出会った少女たちの過去、現在、未来・・・
赤裸々に語られる悲しみの記憶そして・・・
人は変われる社会は変えられる
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「記憶」は、少女少年院で過ごした少女たちのリアルが伝わるものだった。
もっと広く、たくさんの人たちに見てもらいたいと思った。
一番印象的だったのは、出演していた少女たち全員が「言えなかった」と話していたこと。
私はこのドキュメンタリー映画を通じて、子どもの本当の声を聴くことの大切さ、子どもが本当の心の内を聴いてほしいのは親であること、親であってほしいと子どもが望んでいるのだとさらに強く感じた。
家庭で、ネグレクトやヤングケアラーの状態であっても、現状しか知ることが出来なければ、それでも、子どもにとっては親はかけがえのない「大切な親」でしかない。子どもにとってその事実は変わらない、たとえそれが本当はゆがんだ親子関係であったとしても、誰にも変えられることではないのだと思う。子どもは自分の親のことが好きで、犯罪を起こすことも親のためならばと、それで親が笑顔になってくれることに嬉しそうな笑みを浮かべる様子には心がえぐられる想いだった。
幼少期に与えてもらえなかった愛情を第三者が与えること、手をかけ、自立に向かえるよう支える。関係は本当の親子と同じだ。甘えられる、愛情を感じられる環境を与え、手を離すべき時には離す、離していかねばならないのだと心を鬼にし強く線を引く、受け入れる側の葛藤はとても難しい所だと思う。
精神面の成長も様々だ。受け入れた末、獅子が子を崖から突き落とす思いで接するしかなかったケース。忽然と目の前から消えていってしまった彼女から、家族が出来たと連絡を受けたことを最後に知れてほっとした。
困難や壁が立ちはだかっていたとしても、挑戦し続け、進んだり時には後退したりを繰り返して、少しづつの成功体験を積み重ねることによって、きっといつか乗り越えることが出来るようになる。誰かに寄り添ってもらいながら・・その誰かがたったひとりでもいい。絶対に味方になってくれる大人はいる。
思春期を過ぎて大人になる段階で、その手をどこまでどう差しのべるか。
キッパリ手を離すことが子どもの為になる場合もある。
そして、いつかきっと自分の力で歩きだすと信じて待つことも必要だ。
本人が変わっても、周り(親や社会)が変わっていない。だから、社会を変えたい、意識を変えたいと思い、ドキュメンタリー映画を制作されたそう。
この映画で少年少女の実体験そのままを見てもらい、ひとりひとりが何か気づいてもらえたらと監督の中村すえこさんは言われていた。
当会ではこの「記憶~少年院の少女たちの未来への軌跡~」の次に制作された
「記憶2~少年たちの追憶と贖罪~」を上映する。
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